【近】Discussion

 昨年から仙台某所のとある企業に勤務させて頂いているのですが・・・

 職場柄、大きな事件があると職員同士でディスカッションが起きるのです。そこに正規、非正規は関係ありません。たびたび大きな事件事故があると起きるDiscussion。そうです、某アニメ制作会社で起きたアレの話。

 どう考えてもアレだろう。というのが裁判員裁判が始まった昨年9月の話。初公判の様子を社食の部屋でテレビを見ながらボーと眺めていた私と上司、同僚の3人で意見交換をしていったのですが、アレはアレで変わらない。一部にはアレをどう裁けと・・・困惑する声もあったし、第一審の結論出す裁判員も裁判官も弁護人も検察官もその他当事者も苦悩しただろうし。ただアレとなったのは当然だし、判決の要旨を見ても異論はない。

 ただ、A被告の生い立ちを考えるととてもゾッとするというか、ここまで極限まで追いつめられるという。児童虐待やいじめといったことというのは影響は重いんだなぁと。すべてのメディアを眺めて、ラジオで車で聞いているとポロポロ涙が出てくる。アレをしても誰一人報われない事実にいつもなら活発なDiscussionの場でも悲しみを覚える。

 社説にも書いてあったけど、問題はこの事件を受けて各々がどう考えるのかではないかと思っている。よくよく考えてみればこの事件は未然に防ぐことはできたはず。事件事故は何かしらの小さな穴に針が通って起きる。一つでもふさがっていれば事件事故は起きない。その穴は何なのか。日本人大好き単なる自己責任という4文字だけで果たして防げるのか。

 個人的に私はこの手の事件はまだどこかで起きるのではないかと危惧している。というより、2年後の2021年12月に大阪市内で類似の事件が起きている。この事件は犯人が死亡しているので裁判すら行われなかった。ここまで類似の事件が起きてでも、私を含め世間は自己責任という4文字で片付けていいものか・・・


 秋葉原の事件の時も含め、散々叫ばれていたことだが、結局は社会はなにも学んでいないのかなと思ってしまう。

 2024年元日に起きた能登半島の地震においても、東日本大震災を経験した者からみればあの忌まわしい大災害の教訓が一部生かされていないという部分も心が痛む。もちろん地域によってレベルや程度、状態は違うとしても、一部報道では地震想定、被害想定を長年更新していなかったという話もあるぐらい。

 今日も、Discussionは続く。続けないといけない。

 まだ見ぬ世代の笑顔のために。そして私やすべての人々のために、Discussionはやめてはいけないんだなと。

 2024年は悲しく忌まわしいニュースばかりの1月から始まった。2月こそはDiscussionによって、いい世界になることを私は祈りながら日々生活をしたい。